
関西紙料株式会社
代表取締役社長 澤田 悠介氏- 法 人 名 / 関西紙料株式会社
- 本 社 / 京都市南区東九条南岩本町一番地
- 創 業 / 昭和22年3月
- 従業員数 / 18名(ドライバー5名)
- 事業内容 / 古紙リサイクル、再生資源リサイクル業
- 車両保有数 / 10台
一般家庭から出る古新聞・古雑誌や教科書。軽快な音楽を鳴らしながら廃品回収の小さな車が細い路地をまわりトイレットペーパーと交換する。懐かしいチリ紙交換の風景。
平成27年10月、京都市ではゴミ半減を目指す「しまつのこころ条例」がスタート。リサイクル可能な紙類の分別が義務化され、企業や病院、事業所から出る全ての紙ゴミがクリーンセンター(ゴミ焼却施設)に搬入できなくなった。民間の業者に任されるようになり、今までは焼却処分されていた紙ゴミが世の中に残るようになる。自社で古紙回収をしたり、業者が回収した古紙を仕入れ、自社工場でプレス加工し、リサイクルの紙を作る製紙工場へ供給する関西紙料株式会社。3代目社長の澤田悠介氏にお話を伺った。

レンタル車両、大活躍!

―ランドレンタカーを利用した経緯
機密書類の処分方法も条例によって変化。例えば病院などは個人情報を処分するのにクリーンセンターに搬入できない。リサイクルするしかないということで古紙問屋へ依頼されることが多くなった。関西紙料はこれまでも機密書類を扱っていたが、4月から新しい業務が決まり急遽バンタイプの車両が必要になった。回収現場の天井が低く、普通サイズの車両だと対応できない。様々なところに問い合わせをするなか、機密書類を運ぶ中間地点に八幡市のトラックランド近畿販売センター(ランドレンタカー京都)があった。ネットで調べてみると販売センターにはショート、ロング、ワイドなど車両のバリエーションも数多く揃っていて、一度来店してみようとい思ったのがきっかけになった。高さ3.1mがギリギリの現場で、その条件に合う車両が偶然にも販売センターにあった。また必要なのは水曜のみとのことでレンタカーも選択肢の一つとなり、2トンのアルミバンを4月から毎週レンタルすることに。
毎週火曜日、近畿販売センターに自車のパッカー車でアルミバンを取りに行く。京都市内で機密書類を積み、そのまま大阪府内の製紙工場へ。リサイクル原料を卸すための専用車としてアルミバンを利用。作業を終え水曜日に販売センターへ返却。パッカー車と乗り替えて帰る。いわば関西紙料の専用車両として用意されているので走りやすく安心して利用している。また販売センターまで距離があるためドライバー1人での乗り替えになるが、車両を置かせてもらえるのがとても助かっているとのこと。火曜、水曜のアルミバン貸渡中は、近畿販売センターに関西紙料のパッカー車がまるで展示車両のように置いてある。
―これからの会社運営
いつまでも細く長く昇りたいですね。と澤田氏。時代とともに小規模の商店は大手デパートやスーパーなどが吸収合併していく流れがあると思うんですけど、まだあの場所でやっているなと、関西紙料はしぶとく残っているなと思ってもらえる会社でありたい。もちろん組織の体制をしっかりして引き続きご愛顧いただける会社にしていかないといけないのですが。 これまでは祖父と父が、昔ながらのやり方でやってきた部分が大きい。トップが指示を出しそれに現場が応える。これからはボトムアップの時代。社員自らが考える会社にしていきたい。社長の会社ではなく、みんなの会社に。改善点を自分で見つけ提案し実行する。先代の頃は自分で取りに行かなくとも紙が集まってきた。ところが今はペーパーレスの時代。集まる紙の量は減り自ら取りに行く時代に。この10年で保有する車両も増えた。トラックを持たないというやり方から時代に即したものへと会社も変わり、大きな転換機を迎えている。 まもなく創業72年。この1店舗で運営することのこだわりがある。立地が良いという理由もあるが、今でも仕事が続けられているのは、お客様が何かを感じて貰えている所があるのかもしれない。古紙は減っていくなか、例えば扱うものをガラッと変えてみるのも一つ。もちろん古紙はやりますけどニッチなところを探してちょっと違う方向性も妄想してみるんです。と話す澤田氏。「いつも思うのは、祖父がなぜこの商売をこの場所で始めたのか。聞いたことがないのでわからないんですけど、父親に仕事を残し、それを繋いで僕に渡してきた意味を考えるんです。」 京都では100年続いて老舗と言われる。関西紙料はまだそこまで辿り着いていないけど、いつかその仲間に入れてもらえるように考えている。僕にも息子がいるので、やるかどうかはわかりませんけど「親父手伝うわ」と言って100年の節目を子供と一緒に迎えられたら嬉しいなと。祖父、父が自分に対して思ってきた事を、いま子供に感じているのかもしれない。代々続いてきたものを繋いでいくことの難しさ。続けていくという覚悟を持ってやっていきたい。 3代目になって思うことは「初代の頃と時代が全く違う。同じやり方では当然やっていけない。いろいろ思うところはありますが、ここを乗り越えられたらもう暫くは大丈夫なんじゃないかなと。結構ビビりながらやってます」と笑いながら話す澤田氏。屈託のない笑顔の向こうに、力強い使命感を覗かせる。 代々受け継がれてきた社訓「先義後利(せんぎこうり)」。やるべき事をやってお客様に喜んでもらう。結果はあとからついてくる。先代の想いを胸に、今と真摯に向き合う姿があった。 100年。老舗と認められる瞬間を見てみたい、そう思った。