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お客様インタビュー3

INTERVIEW 3
関西紙料株式会社
京都市南区

関西紙料株式会社

代表取締役社長

澤田 悠介氏

  • 法 人 名 / 関西紙料株式会社
  • 本   社 / 京都市南区東九条南岩本町一番地
  • 創   業 / 昭和22年3月
  • 従業員数  / 18名(ドライバー5名)
  • 事業内容  / 古紙リサイクル、再生資源リサイクル業
  • 車両保有数 / 10台

『しぶとく誇らしく
そして、3代目として自分らしく』

〜100年の節目に想いを繋ぐ〜
関西紙料株式会社

関西紙料株式会社 一般家庭から出る古新聞・古雑誌や教科書。軽快な音楽を鳴らしながら廃品回収の小さな車が細い路地をまわりトイレットペーパーと交換する。懐かしいチリ紙交換の風景。
 平成27年10月、京都市ではゴミ半減を目指す「しまつのこころ条例」がスタート。リサイクル可能な紙類の分別が義務化され、企業や病院、事業所から出る全ての紙ゴミがクリーンセンター(ゴミ焼却施設)に搬入できなくなった。民間の業者に任されるようになり、今までは焼却処分されていた紙ゴミが世の中に残るようになる。自社で古紙回収をしたり、業者が回収した古紙を仕入れ、自社工場でプレス加工し、リサイクルの紙を作る製紙工場へ供給する関西紙料株式会社。3代目社長の澤田悠介氏にお話を伺った。

 昭和22年、富山出身の祖父が創業。戦争から帰ってきて富山に戻らなかった祖父は、京都で産業古紙問屋を営む同郷出身の知人の世話になる。その後、問屋として独立するにあたって世話になった知人とは違う分野を扱うことに。リヤカーを引いて一般家庭やスーパーなどをまわり、京都の街中から出る古ダンボールや古新聞・古雑誌を回収した。
 自宅をそのまま事務所として使っていたため、澤田氏の父である現会長はここで育つ。澤田氏が生まれると同時に住まいは別の場所へ。幼少の頃は会社に来て手伝いをしたり、内緒で重機に乗ってみたり。ワクワクする環境の中で楽しく過ごしたという澤田氏。今思うとそれが家業を継がせる作戦だったのかなと話す。3人兄弟の長男。当時はまだ長男が後を継ぐ時代で、祖父や父はこの環境に慣れさせておこうと連れてきていたのかなと。それにまんまと引っかかったと笑う。
 それでも自分の進む道を自分で決めたいと大学を卒業後、就職。平成15年自動車ディーラーの営業職へ。関西紙料に入社する選択肢もある中、家業にそのまま就くことに微妙な気持ちがあったそう。反発する気持ちもあり外に出て自活したいとの考えで飛び出した。この頃も車が簡単に売れる時代ではなく、入社後すぐに先輩から住宅地図を渡され一軒一軒飛び込み営業に。ノルマ達成が難しい時期も経験した。
 なぜ関西紙料に戻ろうと思ったかハッキリとは思い出せないが、学生の頃からいつかは後を継ぐという気持ちがあったので、就職から3年半経った頃、いよいよその決意をする。自動車ディーラーを退社し関西紙料に戻るため2年間の修行期間に。最初の1年は取引先であるダンボール製造工場へ。その後、同業である古紙問屋に1年間お世話になり、平成20年10月、関西紙料へ戻ってきた。「自動車ディーラーという教育体制が整った環境で営業経験が積めた事は大きい。うちのような個人事業主、株式会社ではありますけど個人商店の体質でやってきたので、関西紙料に戻ってからの10年はその差を実感している。」と澤田氏。自分が戻ってきた頃、教育制度は無く誰も教えてくれない。見て覚えろという環境の中で、もどかしい思いもしたそうだ。
 平成27年、社長就任。京都市の「しまつのこころ条例」が施行されると人々のリサイクルに対する関心はより深まった。これまでは古紙を引き取り帰ってくるだけの作業だったものが現場でお客様との会話も増え、古紙以外のもの、例えばペットボトルなど品物に関してのアドバイスも求められるようになった。以前はゴミ代を払って処分していたものが古紙と一緒に出せば無料で回収できるなど、お客様にメリットを提示できるようになり、いわばコンサル的な役割も担うように。加えて回収ドライバーからの提案も上がってくるようになった。「『回収に行ったお客様からリサイクルやゴミに関してのこんな話がありましたよ』など、僕が具体的に指示を出したわけではないのに面白いよね」澤田氏の嬉しそうな表情。現場の自主性によって仕事が広がっていく。
 そして古紙の品質にもこだわる。プレスする際に違う種類のものやゴミが入らないように、また京都ならではの紙、例えばお香や漢方などが入っていた匂いのついたダンボールは商品に混ざらないように徹底して作業をしている。全て人海戦術、人の力に頼るしかないが納品する製紙メーカーさんからのクレームは殆どない。自信を持って提供している。
 社員の名刺には国の制度であるプライバシーマークが。個人情報に特化した資格を取得し、お客様への信頼の証として社員一人ひとりが意識を高めている。 関西紙料株式会社

レンタル車両、大活躍!

関西紙料株式会社

―ランドレンタカーを利用した経緯

関西紙料株式会社 機密書類の処分方法も条例によって変化。例えば病院などは個人情報を処分するのにクリーンセンターに搬入できない。リサイクルするしかないということで古紙問屋へ依頼されることが多くなった。関西紙料はこれまでも機密書類を扱っていたが、4月から新しい業務が決まり急遽バンタイプの車両が必要になった。回収現場の天井が低く、普通サイズの車両だと対応できない。様々なところに問い合わせをするなか、機密書類を運ぶ中間地点に八幡市のトラックランド近畿販売センター(ランドレンタカー京都)があった。ネットで調べてみると販売センターにはショート、ロング、ワイドなど車両のバリエーションも数多く揃っていて、一度来店してみようとい思ったのがきっかけになった。高さ3.1mがギリギリの現場で、その条件に合う車両が偶然にも販売センターにあった。また必要なのは水曜のみとのことでレンタカーも選択肢の一つとなり、2トンのアルミバンを4月から毎週レンタルすることに。
 毎週火曜日、近畿販売センターに自車のパッカー車でアルミバンを取りに行く。京都市内で機密書類を積み、そのまま大阪府内の製紙工場へ。リサイクル原料を卸すための専用車としてアルミバンを利用。作業を終え水曜日に販売センターへ返却。パッカー車と乗り替えて帰る。いわば関西紙料の専用車両として用意されているので走りやすく安心して利用している。また販売センターまで距離があるためドライバー1人での乗り替えになるが、車両を置かせてもらえるのがとても助かっているとのこと。火曜、水曜のアルミバン貸渡中は、近畿販売センターに関西紙料のパッカー車がまるで展示車両のように置いてある。 関西紙料株式会社

―これからの会社運営

 いつまでも細く長く昇りたいですね。と澤田氏。時代とともに小規模の商店は大手デパートやスーパーなどが吸収合併していく流れがあると思うんですけど、まだあの場所でやっているなと、関西紙料はしぶとく残っているなと思ってもらえる会社でありたい。もちろん組織の体制をしっかりして引き続きご愛顧いただける会社にしていかないといけないのですが。
 これまでは祖父と父が、昔ながらのやり方でやってきた部分が大きい。トップが指示を出しそれに現場が応える。これからはボトムアップの時代。社員自らが考える会社にしていきたい。社長の会社ではなく、みんなの会社に。改善点を自分で見つけ提案し実行する。先代の頃は自分で取りに行かなくとも紙が集まってきた。ところが今はペーパーレスの時代。集まる紙の量は減り自ら取りに行く時代に。この10年で保有する車両も増えた。トラックを持たないというやり方から時代に即したものへと会社も変わり、大きな転換機を迎えている。
 まもなく創業72年。この1店舗で運営することのこだわりがある。立地が良いという理由もあるが、今でも仕事が続けられているのは、お客様が何かを感じて貰えている所があるのかもしれない。古紙は減っていくなか、例えば扱うものをガラッと変えてみるのも一つ。もちろん古紙はやりますけどニッチなところを探してちょっと違う方向性も妄想してみるんです。と話す澤田氏。「いつも思うのは、祖父がなぜこの商売をこの場所で始めたのか。聞いたことがないのでわからないんですけど、父親に仕事を残し、それを繋いで僕に渡してきた意味を考えるんです。」
 京都では100年続いて老舗と言われる。関西紙料はまだそこまで辿り着いていないけど、いつかその仲間に入れてもらえるように考えている。僕にも息子がいるので、やるかどうかはわかりませんけど「親父手伝うわ」と言って100年の節目を子供と一緒に迎えられたら嬉しいなと。祖父、父が自分に対して思ってきた事を、いま子供に感じているのかもしれない。代々続いてきたものを繋いでいくことの難しさ。続けていくという覚悟を持ってやっていきたい。
 3代目になって思うことは「初代の頃と時代が全く違う。同じやり方では当然やっていけない。いろいろ思うところはありますが、ここを乗り越えられたらもう暫くは大丈夫なんじゃないかなと。結構ビビりながらやってます」と笑いながら話す澤田氏。屈託のない笑顔の向こうに、力強い使命感を覗かせる。
 代々受け継がれてきた社訓「先義後利(せんぎこうり)」。やるべき事をやってお客様に喜んでもらう。結果はあとからついてくる。先代の想いを胸に、今と真摯に向き合う姿があった。
 100年。老舗と認められる瞬間を見てみたい、そう思った。

関西紙料株式会社

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